学校英語の難化に伴って文法苦手が増えた?
2021年以降の学校英語を見て、最近よく考えること
最近、教室でよく思うことがあります。
多読を続けていると、本当にすごい子が出てくる。
英語を読むことに全く抵抗がなく、
語彙も自然に増え、
英語に対して自信を持っている。
「英語が得意です」と、
自分でそう思えている子が、確実に増えました。
正直、ここはバンザイしたいところです。
でも同時に、文法で苦しむ子も、それなりに出てくるなあと感じることが増えました。
特にここ数年、その実感が強くなっています。
多読をしているのに、文法が弱い?
多読教室にいると、
- たくさん読んでいる
- 真面目に取り組んでいる
- 英語自体は嫌いじゃない
それなのに、
- 書かせると文法が崩れる
- 自由度が少し上がると、一気におかしくなる
という子が出てきます。
2021年以降の学校英語を見て思うこと
やはり大きいのは、2021年以降の学校英語の変化だと思っています。
学校英語は、
- 文法の導入がとても速くなり
- 抽象的な語や表現が早く出てきて
- 長文も、当たり前のように増えました
正直、
文法を、ゆっくり噛み砕いて理解する時間は、
かなり減った
と感じています。
以前なら、
- なんとなく
- 雰囲気で
- 完璧でなくても
点が取れた部分が、
今はそうはいきません。
形式、選択、制約。
そういったものが、はっきり求められます。
多読型の子ほど、つまずく場面がある
ここが難しいところなのですが、
多読で育った子は、
- 意味で英語を処理する
- 長文を読むことに抵抗がない
- 英語を「言語」として扱っている
だからこそ、
- 文法を一つ一つ意識して選ぶ
- 形を厳密に整える
という場面で、急に苦しくなることがあります。
自由作文や、抽象的な意見文を早い段階で書かせると、文法の弱さが一気に表に出てしまう。
これは、能力が低いからではなく、そういう練習をしていないだけだと思っています。
それでも、多読の価値は揺らがない
ここは、何度でも言いたいです。
多読で育った子たちは、
- 英語を意味のあるものとして読める
- 長文にひるまない
- 語彙や文脈処理が速い
- 何より、英語に自信がある
これは、今の英語教育の中では、かなり大きな強みです。
文法が完璧な子より、よほど先に進める可能性もあります。

問題は、文法が弱いことではない
最近、考えがはっきりしてきました。
問題は、
文法が弱いこと、というより、文法が弱いまま、高度なアウトプットを求められること
なのだと思います。
多読型の子にとって、そこはどうしてもギャップになります。
多読教室として、どこまで責任を持つのか
ここは、正直、悩みます。
でも最近は、
多読教室が、文法の完成まで背負わなくていい
と思うようになりました。
多読教室の役割は、
- 英語に触れる量を確保すること
- 英語で考える土台を作ること
- 英語に対する肯定感を育てること
そこが揺らいでしまったら、本末転倒です。
今やっていることは、間違っていないと思う
- 多読の時間は守る
- 文法には軽く触れる
- 宿題で最低限の橋をかける
このやり方は、今の学校英語を見据えると、かなり現実的な落としどころだと思っています。
最後に
多読は万能ではありません。
でも、
多読をやめる理由にも、ならない。
このバランスの中で、これからも試行錯誤していくしかないのだと思います。
同じように悩んでいる多読指導者がいたら、
「こう感じている教室もありますよ」
という一つの記録として、この文章を残しておきたいと思います。

