私は娘を英語で育てました。
そんな気は全くなかったんですが、ある日、幼稚園から帰ってきた彼女が、
「私、英語習いたい!」
と言い出しました。
私はその時、ある配給会社の映像翻訳のお仕事をもらっていました。
毎日忙しく字幕や吹き替えを作っていた私は
「え?英語?英語教室なんか行っても話せるようになんかならないよ」
とか真面目に答えてしまいました😅
でも、「行きたい、行きたい」と喚くので、理由を尋ねたら、
「(幼稚園の友達の)◯○ちゃんが Thank you って言ってた!かっこいい!私もそうなりたい〜😍😍」
まさかThank youという一言でそんなことになろうとは。。。ww
英語教室探し
ということで、英語教室探しが始まりました。
私のこだわりは、
- 本を使ったレッスンがあること
- 「学ぶ」スタンスではなく、英語教室が「発表する場」であること
- 日々の宿題があること
でした。
でも、そういう教室はほとんどないのです。
まず、絵本を使ってない(使っていても「たまに」でした)
外国人の先生の教室は「答える一方」の受け答え。
My name is Aomiと言える子にはなるでしょうけど、What’s your name?と言える子にはならないだろうなー、というレッスンでした。
先生が英語を使ってもしょうがない。生徒が使う教室じゃなければ!
そこで、どうしたものかな?と考えて思いついたのが、
自分で英語教室を作ればいい!
ってことです。
英語教室誕生
英語教室を作ろうと決心したのは良いですが、私は、英語を小さい子に教えた経験が皆無でした。
元々高校教師を目指して英語教育を大学院まで行って勉強したものの、相手は高校生どころか小学生にすらなっていない幼児😅。。。
仕方ないので「半年勉強してくるから待って」と娘に頼みました。
快くOK
。。。してくれるわけもなく、「じゃ、その間英語できないじゃん」
と反撃されました。
そこで思いついたのが、
毎日英語を使う
ということ。では、
日常会話を英語にすればいい!
という答えでした。
簡単ですね(笑)←簡単か??
とにかく、私はCTPの本を使ってレッスンを始める、というメソッドを学びながら、たった9名の英語教室がスタートしました。
日常会話が英語になる
「じゃ、今日から英語で生活しましょう」
ということになり、5歳児相手に毎日英語で話すことにしました。
読み聞かせ、テレビ、遊び、全てに英語を散りばめていきました。
幼稚園でも外出先でも私は娘にひたすら英語で話しかけ、
彼女は夫には日本語、私には英語、と使い分けるようになっていきました。
家族3人で話す時のみ、私は娘に日本語で話すようになりました。
「バイリンガルになれたら良いな」
ではなく、
「バイリンガルにするにはどうしたらいいか?」
というマインドでした。
バイリンガルにならない訳がない、という信念の元に行動していた気がします笑
私は帰国子女ですが、そんな幼少期から海外に住んでいたわけではないので、
幼児英語というものが分からない😅😅
「ダンゴムシ」だの
「お風呂に肩まで浸かりましょ」だの
「右左ちゃんと見て道路を渡らないとダメよ」だの、
そんな子供用の言い回しが分からず、
「語りかけのための英語」というものを随分その時期に勉強しました。
イマージョンスクールである小中学の情報なども集めまくりました。
また、幼児用のテレビ番組とかビデオとかを見まくって幼児用の言い回しをインプットしていきました。
受験勉強よりずっと真剣にやったかも(笑)
読み聞かせと遊び
その中でも力を入れていたのが「絵本を集めること」と「毎日二人で読む」こと。
読み聞かせもやりましたが、それより一緒に読むことをよくやりました。
読んであげることも多かったですが、
小2ぐらいの時にYL2ぐらいのものを勝手に読むようになってしまって、
そんなにレベルが上がったのか!と心底驚いたことがあります😅
あとは、「毎日BBカードで遊ぶこと」
本当に毎日5分でいいからBBカードで遊んでいました。
どんなに遅くなっても、1分でも2分でも、という感じで遊んだ覚えがあります。
あまりに毎日やっていたので夫がカードを横から取れるようになったほどです😅
Miss Peach eats four meals…と読むと
横から足がニョキっと出てきてカードを取られたことが何度もあります(笑)
ちなみに、私はカルタで彼女に勝ったことが今まで一度もありません笑
インターナショナルスクールへ
夏休みに体験した江戸川区にあるインターナショナルスクールが大好きだった彼女は、インターナショナルスクールへ通いたい!とせがんできました。
インターナショナルスクール。。。と言われてもこんな田舎には近くにはありません。
英語教室のインターナショナルスクールというのは本物のインターとは違います。
何かないか、と色々探して、彼女の条件に合うスクールを見つけました。
カナディアンインターナショナルスクールです
もちろん毎日なんて無理なので、そこの土曜日校に決め、毎週土曜日、大崎まで通っていました😅
インターでは英語でいろんなこと(算数とか理科とか体育とかなんでも)を学びます。
英語教室ではないので英語は学びません。英語で学ぶのですね。
そこでは5時間のレッスンがあるので、
私は本当に暇で(笑)、どうやって時間を潰そうか真剣に悩んだことがあったぐらいです。
検討した結果、私が電車で大崎に連れて行って、
インターに送り届け、その足で私は赤坂見附の英語スクールに勉強しに行くことにしました。
自分のレッスンが終わってから大崎まで迎えに行く、という土曜日を送っていました。
月の半分は夫が大崎まで娘を車で迎えに行ってくれました。
費用もかなりかかったので、夫の協力がなければ挫折していたと思います。
親子留学と一人留学
親子留学
そして、毎年オーストラリアの学校に1週間ぐらい連れて行って学校の体験をさせました。
現地の子が通っている幼稚園や小学校に1週間単位でポンと入れてくれます。
その子たちと生活を共にして海外の生活を体験させていました。
今考えたら、あの時のバイタリティってすごいなー、って思います(笑)
毎年必ずふたりだけで海外へ行って、見知らぬご家庭にお世話になりつつ学校へ通うということをやっていたんですよね😅
夫の理解もサポートも100%でできたことはありがたかったです。
ただ、成長してからはちょっと行き先に問題がありました。
いつもオーストラリアの学校を利用していたのですが、オーストラリアは秋に行くのがちょうど良いのですが、小学生高学年にはちょっとキツイんですね。
お勉強も遅れてしまうし。。。
一人留学
ですから、毎年オーストラリアだった親子留学は、夏休みのサマースクールに舞台を変え、一人でカナダへ行くことになりました。
彼女のインターナショナルスクールは、カナダ英語でもあったのでカナダは彼女には本当に合ったようです♪
その当時は「私はカナダ人と結婚する」が口癖でした(笑)
小3まで一緒に行った親子留学は終わり、小4以降は彼女は一人で海外へ飛び出すことになります。
小さい子がよく一人で飛行機に乗って頑張ったなあ、と今でも思います😅
でも、その時には同級生の現地のカナダ人と口喧嘩ができるほどの会話力を持っていたので、英語で困る、ということはなかったのが良かったのでしょう。
面白い現象が一つありました。
カナダで得た経験は、当たり前ですが英語でした。
英語で経験したことを日本に帰ってきて日本語で話すことが、彼女にはかなり難しかったようです。
仕方ないので、英語で経験したことは英語で、日本語で経験したことは日本語で、話すようにしたのもこの留学がきっかけでした。
中学からは子供だけで参加する国連のプログラムに毎年行っていました。
大量のインプット
大量のインプットをしないとバイリンガルにはなりません。
いくら、日常会話が英語でも私の英語だけでは絶対無理ですし、週1回インターナショナルスクールに通ったり、年1回1週間外国へ行ったところでレベルアップはほとんどしないでしょう。
とにかく、どうにかインプットの機会を持とうと思いました。
ドラマ、漫画、本、などを与えていきましたが、
その中でも彼女は「絵本の音読音源のリスニング」がとにかく好き😍
朝起きてから寝るまで、絵本の音読CDをかけっぱなしで聴いていました。
かけ続けたCDの音読を夫が覚えてしまうほど(爆)
いろいろな情報を集めて音源を集めていました。
この時期にAudibleに入会しました。
当時は日本のAudibleはなかったのでアメリカのものと契約しました。
音源なしの本は絶対買わないようにしていました。
娘は朗読に夢中になりすぎて、ご飯を食べたり着替えたりしている最中もずっと聞き入ってしまい、一時期は学校への準備をする朝の忙しい時は「リスニング禁止!!」と怒鳴ったぐらいです😅
そんなこんなで、自分の言いたいことは全て英語で事足りるようになりました。
リスニングが好きなのはずっと変わらずで、
大学生の頃はニュース番組Last Week Tonightばかり聞いていました。
英検
2級まで
英検というものに手を出し始めたのは小3でした。
通っていた英語教室の帰国子女の友人から「私、3級受かったんだ。あなたは?」と言われたのがきっかけです。
娘に「英検ってなに?」
と聞かれて、
「えーっと、英語のテストじゃないかな?」(そのまま😅)
と適当に答えてほったらかしていました。
でも、受ける受けると煩いので受けさせることにしました。
英語教室の先生に聞いたら、
「3級から受けた方がいい」と言われたのですが、
なんせ初だったので、5級からにします、と答えました。
「そんなの簡単すぎますよ!」という先生の猛反対に合い、
じゃ、4級スタートで、ということで4級を受けました。
過去問題も一切見ないで行き当たりばったりで受験したところ、
10分で全てが終わってしまい、
「暇だった」
と文句を言って戻ってきました😅
確かに問題用紙はチューリップ🌷の落書きだらけ。。。(笑)
よほど時間を潰すのが大変だったかがよくわかりましたw
それからは小3で3級、小4で準2、小5で2級を、全くノー勉で取ってしまい、
「英検の勉強を一切したことがない」という状態で
2級ホルダーの小学生となってしまいました。
2級のエピソード
一度、2級の勉強をやらせようと思って(さすがにノー勉は無理だと思って)、
問題集を買って与えました(与えれば勝手にやると何故か思ってたww)。
夫が試験当日、車で送って行ってくれていた時、
私「そういえば、過去問題やったの?」
娘「うん。」
私「リスニングって何問?」
と聞くと(今考えたら、この質問自体がおかしいですよね😅)、
娘「さあ?」
なんか、怪しいと思って、問題集を確認したらCDの封も切られてない!!
さすがに怒って
「なんでやってないの??」
と怒って娘とギャーギャーわめいていたら、夫が
「君たち、その喧嘩って今すること???」
と。。。(英検会場に行く道中ですからねw)
本当に、今考えたら呆れますww
「やってない君もダメだけど、問題集を与えたらちゃんとやると思ってる君もダメ」
と二人とも注意されました😅
彼女は背が小さい子で、学年より2−3歳下に見えるので、
2級の面接時には、会場に連れて行ったら、
「お子様は中に入れません」と断られたり(笑)、
と、英検はいろんな思い出があります。
その時には、彼女は、いわゆる「ペラペラ」の状態で、知り合う外国人の先生を大いに驚かせました。
3つの間
彼女は小さい頃から大学生まで、うちの教室以外のどこかの英語教室には通ってました。
外で英語で発表する場が大事だと私は思っていましたから。
家だけで(たとえネットを使ったとしても)英語をやるのは
絶対に限界があると思っていましたし、
先生は私以外の人が良かったし、
それに、誰かと話すための英語を家で終わらせるのは論外
と思っていました。
英語には3つの「間」が必要です。
- 空間
- 時間
- 仲間
です
どれが欠けても語学学習は難しいのです。
私がこだわっていたのは「娘にとっての仲間」です。
レベルが高かった娘は個別レッスンを勧められることが多かったので、それだけはダメ、と言いました。
英語は言語です。一人でひっそり勉強してはいけない。
たった一人のクラスメイトでいいから、仲間が絶対必要だと信じていました。
英会話の終わり
そんな彼女が
「会話を日本語に戻して」
と言ったのは、小6の時でした。
小6になる前ぐらいにいきなり「私立受験したい」と言い出して塾に通い出したあたりです。
本人の希望なので、特に理由も聞かず、
「じゃ、今日から日本語ね」
と言って、100%日本語の世界に戻りました。
多分、中学受験をするとき、
国語教科の問題を考えるとき英語で考えてしまうマインドが邪魔になると判断したのだと思います。
それ以降は英語で発話するのは、英語教室のみ、ということになりました。
5歳から11歳まで彼女とずっと英語で生活していたのは、大変でしたけど面白い経験でした♪
私自身の英語力も相当アップしたと思います。
その後、彼女は英語の世界へ自分から歩んで行ったので、高い英語力を身につけました。
自分で選んで受験した私立中学では、
帰国子女クラスに所属し、日本の英語の授業は受けていません。
グローバルなアカデミック英語を徹底的に学びました。
高校は英語クラスに所属し、
そこでも帰国子女と共に勉強しました
(友人らは全員早稲田の国際教養と上智の国際教養、または海外の大学へ進学しました)
準1級はまだ小中学生だったので
英語というより知識レベルで苦労していて7回受けてましたが、
1級はすっと受かってしまう高い英語力を身につけていました。
大学受験の英語の問題は「どの問題を見ても違いがよく分からない」というほど簡単だったようです。
読了語数は1,000万語、YLは6を軽く超えていました。
その当時の読むスピードは分速250-280語!
(一般的な高校生が分速80語ぐらい。
TOEIC満点取得者が分速180語でOKとされますから相当早かったと思われます)
読書を記録するのが何より苦手だったので、
多分1,000万語の1.5倍は読んでいたと思うのですが、
記録がないのでわかりません(笑)
うちの教室
英語育児の中でも彼女はうちの教室が何より好きでした。
レベルが上のクラス、、、とかそんなものはありません。
同じ学年でどのレベルのレッスンも楽しそうに行なっていました。
彼女は、英語のレベルがとても高かったので、
どうしてもどこへ行っても上の学年と一緒に勉強しないといけなかったんですが、
教室だけは別で、同学年の子たちと活動していました。
それは彼女にとっては大きな存在となったようです。
小1から一緒に学んだ英語教室の仲間とは12年間一緒に学びました。
最後の大学受験では、この背の高い彼と夜遅くまで語り合い、
休み期間は朝から一緒に勉強していました。
(それも教室を開けろ、と二人からせがまれたw)
大学&結婚
そんな彼女は、大学(英文科)で散々英語にどっぷりの生活をして卒業後、半年後に結婚しました。
彼は、娘の小さい頃の初恋の人(!)で、
私たちが英語で話しているのを目の当たりにしてきた人です。
でも、そんな彼も日本で普通に生活をしている人なので、
当たり前ですがオンリージャパニーズの毎日。
娘は、彼の前では英語で話すことも、英語の本を読むこともほとんどないです
(と彼から聞いています)。
家の中が英語だらけだった実家を離れて、
今後どうやって英語力をキープできるかは彼女次第。
語学には終わりがないのですから。
アキさん、こんにちは
小さい頃、高校生の写真、懐かしいです
成人式の写真も旦那様との写真もとても良いですね✨
娘はあおみちゃんと同級生で一緒に楽しく勉強させてもらって、とても良い思い出になっていると思います (クラスメイトのお母様から♪)